願-ゴン-
頭がぼうとする。
ここは…どこだ?
「犬夜叉」
誰かが俺の名を呼ぶ。
…誰だ?
「犬夜叉、私だ、桔梗だ」
「桔…梗?」
ようやく頭がはっきりしてきた。それでも、まだ、まるで夢の中のような感覚がする。
「なぜ、こんなところにお前がいるんだ」
「さぁ…それは私が知れたことではない」
やけに現実的な夢だな、そう思いながらゆっくりと体を起こす。
そして、気づいた。
目の前にさっき手にしていた香炉が目の前にあり、そこから煙が出ている。
そして、声の本人―桔梗はその煙の中から姿を現していた。
「“反魂香”…か…」
これがもし夢なら、俺は夢の中で結局使っているではないか。かごめには使わないと言ったのに。
そして気になることがある、なぜ会話ができるのか、と。
「桔梗」
「なんだ」
今もこうして話すことができる。何故―
分からない。使っているのが“反魂香”なのか、ただの夢なのか、幻なのか、
でも今はそんなこと、もうどうでもいい。
今はただ、桔梗に言いたいことがある。
お前が逝ってから、ずっと言いたかったことがある。
「あの時、俺はお前を救えなかった。何にもしてやれなかった…」
奈落との最終決戦の前、奈落の瘴気に蝕まれていた桔梗を結局俺は救えなかった。
出会ったときから、一度もお前を幸せにできなかった。
約束したのにお互い裏切られたと思い、無理やり魂を呼び戻されて生き返り、
傷ついて傷ついて、それでも奈落を倒すためだけに生き…でも。
「結局俺はお前を一度も幸せにしてやれなかった…。
なのに…それなのに!俺は今、生きてて…お前を幸せにできなかった俺には生きて幸せになる資格なんか本当はないのにっ」
「犬夜叉」
桔梗がまっすぐ犬夜叉の目を見る。
「お前は私にたくさん幸せを与えたではないか…」
「え…?」
「お前と出会ってから、私は初めて心から話せる男(ひと)ができた…
お前は私に、共に生きようと言ってくれた…」
「桔梗…」
「奈落に引き裂かれ、あのまま何も知らずに眠ったままではなくてよかった…
お前にもう一度会えて、真実を知って、お前の本当の気持ちを知って、お前に触れられて、よかった…
最後にお前に来てくれて、傍にいてくれて、よかった…」
「…き、きょう」
犬夜叉は桔梗の影に手をのばす。が、煙を掠りとるだけで、触れることができない。
触れることもできない。
…当たり前だ…そんなこと、分かり切っていることではないか。
それなら、せめてもう少しだけ近くでお前の姿を見たい。
「犬夜叉」
桔梗はすっと手を伸ばす。触れることができない犬夜叉の頬に、手を伸ばして言った。
「それだけで、私は十分幸せだ…」
そして、ゆるりと、儚げに、笑う。
「桔梗…」
犬夜叉の目頭が熱くなってくる。
「だから、お前も幸せになってくれ…お前の幸せが、私の幸せだ…」
なんで―なんでお前はこんなにも、幸せそうに笑う。
なんで、こんな俺に幸せを願う。
「俺の、幸せ…?」
「そうだ、お前はもう幸せを手に入れたではないか…」
ゆっくりと、ゆっくりと、彼女の姿が薄くなっていく。
「犬夜叉、ありがとう…」
頬をやわらかく包み込む手がゆっくりと消えていく…
「そして、お前の“幸せ”にも、ありがとう、と…」
お前のおかげで救われた、と…
そして、彼女の姿が完全に消えてなくなった時、
犬夜叉の目から流れた一筋の涙が頬をゆっくりとつたった。